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「終わり」がくる、その日まで



    19
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 悠花はぼんやりと先週と同じ場所に立っていた。手には大きな荷物を持っている。トートバッグの中には3段のカラフルなランチボックスに水筒、ついでにレジャーシートもいれている。
 先週とは空の色もうって変わって、雲をけちらし光を存分に降り注いでくる。桜は満開で、枝の先についた花はむしろ重みをもって咲き誇る。悠花は「ああ、あの木も桜だったんだ」と駅から見える薄桃色の木々に気づいた。
 「桜が咲いたらお花見に行こう」最初にそう言い出したのは悠花だった。だからあの日、彼に約束したよね、と言われれば反論できず断れなかった。
 「会わないほうがいい」と「会いたい」をいつも天秤にかけている。
 どちらもバランスよく均衡を保っていて、ゆらゆら揺れるだけではっきりしない。
 彼に会ってからはいつもそうだった。
 いつだって「会わない」選択ができたはずなのに、足は向かってしまう。体は動いてしまう。
 曖昧にして逃げてきてやっと決断できたのに、逆戻りしている自分が成長のまるでない子どものようで惨めにも思えた。穂高とのことだって、別れを自分で告げたときに終わりにしたはずだったのに、いつまでも期待していた。
 決断できない優柔不断な女であることだけは毎回認識させられる。
 悠花は桜の花から視線を戻すと、大きな荷物を見下ろした。お弁当には、甘い卵焼きと、塩と醤油二つの味のからあげ、カップに入れた野菜サラダは食べる直前にドレッシングをかける。デザート代わりのフルーツに、おにぎりかサンドイッチか迷って、見た目が華やかに見えるのり巻きにした。プチトマトやレタスで彩を加えて、水筒には暖かい健康茶をいれてきている。
 まるで遠足を楽しみにしている子どもみたいに準備は万端だが、これをお披露目できるかどうかはわからないなというのが悠花の正直な思いだ。
 副社長によれば、彼はすでに悠花のことを調べている。
 だったら今度は「会わない」選択をするのは彼の番だった。来ない可能性もある。皮肉にもお弁当作りに励めたのは、そんなあきらめもあったせいだ。
 悠花はメールの振動に気が付いて、びくっと震えた。携帯をとりだして画面を見る。
 急に日影ができたような気がした。
 青と黄色と桃色が華やかな世界に、悠花の前だけ闇が落ちる。
『急用ができていけなくなりました。ごめん。また連絡します』
 悠花は「やっぱり」と思う。
 想像していたとおりの現実。
 「わかりました」とだけ打ってメールを即座に返した。
 いっそこのまま「もう連絡は結構です」とか「やはり会わないことにしましょう」と送るなり、拒否をするなりしてしまえばいいのかもしれない。
 本当に急用なのかわからない。
 ただもう悠花に会いたくないだけで、今度は彼の方が終わり方を模索しているだけかもしれない。
「疑うだけならまだしも……傷つく必要なんてないじゃない……!!」
 望んでいたはずだろう。
 悠花の周囲にばらまかれた噂を知れば彼は距離を置く可能性が高かった。
 だから自分の口から説明しなかった。自分から終わりにできないのであれば相手から終わりにしてもらえばいいと卑怯な考えに縋った。
 そのとおりになりそうじゃないか!!
 悠花は空を見上げた。
 明るい水色は眩しすぎて、どこかに雲がひとつでも浮かんでいないか探したくなる。自分の心はどす黒い雲で覆われているのに、どうしてこんなに明るいのか。手にかかるのはお弁当箱の重み。休みにも関わらず早目に起きて作ったお弁当は、やっぱり無駄になった。
 そうして、遅かれ早かれ、彼からは関係を解消したいという旨のメールが届くに違いない。
 悠花は自分が来た方向へ戻って駅の改札を抜けた。そのまま家に帰ればよかったのに帰れなかったのは、花見日和のいいお天気の日に、薄ら寒い部屋に一人戻るのが虚しく思えたからだ。行先を変更して悠花は別のホームへのエスカレーターに乗る。
 今月のはじめにも訪れた場所をこんな気持ちで向かうことになるなんて、やっぱり未来はわからないと自嘲した。




 ***




 数週間前に冷たさをもたらしていた海風は、今日は優しく悠花の髪を揺らす。砂浜に反射する陽の光がまぶしくて、折りたたんでいた帽子をとりだした。
 暖かい小春日和のためか春休みのためか家族連れが多く海辺を歩いている。白い帽子をかぶった小さな兄弟が砂で山を作っているそばに、両親らしい二人がシートを敷いて座って様子を見守っていた。遠く離れた場所では、小学生ぐらいの子どもたちが集まって、裸足になって波打ち際ではしゃいでいる。
 階段の上から見下ろして遠くの景色まで見渡すと、白いガードレールのそばに薄桃色の帽子をかぶった木々が並んでいるのが見えた。ここからだとあまりにも小さいけれど、悠花には十分お花見している気分になれた。
 今日は丈が長めのふんわりしたスカートとヒールのない歩きやすい靴で来た。砂が入りそうで気になって最初は慎重に階段を降りていく。だんだんどうでもよくなってきて、さくさく音をたてて砂浜に足跡をつけた。
 穂高と付き合うきっかけになった海。
 過去と決別するつもりで指輪を投げ捨てた海。
 そして彼に「名前を教えてください」とメールした海。
 あんなメールをしなければ、名前を知らないままの逢瀬を繰り返していれば、こんな気持ちでここを訪れずにすんだだろうか。
 いや、名前を聞かずとも会社で再会することになれば、結局同じことだったのだから、必然的な現実なのかもしれない。
 悠花はトートバッグを肩にかけなおして、海を見ながら砂浜を歩いていく。
 波がかかる部分だけ砂の色が違う。それが模様を描いているように見えて、その線にそって足をすすめた。タイミングよく波が来れば避けて、今度の波は大きいなあとか、ここまではこないかもとか考えながら。
 穂高と別れてから、誰かを好きになる自分は想像できなかった。だから油断したのかもしれない。
 きっと相手が彼でなくても、悠花は同じ難題にぶつかったはずだ。自分の過去を、身におこったことをいつかは相手には告げなければならない。その時に、相手が自分を信じてくれるかどうか、嫌わないでいてくれるかどうか考える羽目にはなっただろう。
 続いていた砂浜に岩がまばらに見え始めて、悠花は景色が変わったことに気が付いた。この辺りまでくると付近に人の気配はない。大きめの岩の塊を見つけると、乾いていることを確認して腰をおろした。ごつごつした岩肌があたってくる。隣にトートバッグを降ろすと、水筒をとりだしてコップに暖かいお茶を注いだ。
 少しぬるくなった温度が逆に悠花の気持ちをほっとさせる。
 名前を知ろうとしなかったのは、知らなければずっと関係を続けていけるという期待があったせいかもしれない。プライベートを知らないからこそ、過去も現在の背景も関係なく、会っている時だけのお互いを見つめていればいい。
 優しくて甘くて心地よい、幻みたいな時間。
 欲をかいて、不相応なものを望めば、パリンと割れるガラスとともに夢は醒める。
 悠花は帽子を脱いでしまうとそっと目を閉じた。波の音が耳に届いて車が行きかうのも聞こえる。
 穂高の結婚が決まったことを知ってから、結婚式の間まで……自分が思ったよりも穏やかな気持ちで過ごせたのは彼がいてくれたおかげだ。もしかしたらつらくて耐えられなかったかもしれないあの時期……壊してほしいと泣きついた相手が彼でなければもっと悠花は堕ちていた可能性だってある。
 だから出会ったことは後悔したくない。「会いたい」と思った気持ちを、止められずに走り出した気持ちを、穂高以外を愛せるかもしれない自分を知ったことも。
 胸がどれほどひどく痛もうとも。

2015.11.02
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